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静かな朝

8月25日






3階建ての
家のベランダから
外を眺める




今日は
あさみとこたと
伴って
自然博物館に
向かうのに







なんだっつーの







水場で
こたを
遊ばせてあげたかったし
自分も
遊びたかった



子供な35歳








このところ
過活動で
だいぶ
苦しい



生きにくい
私の人生は
それにより
余計に
生きにくくなっている







依存症と
診断されて
自覚して生きることは
私には
苦しすぎた





理解してもらうことも
もうやめよう









もう一切連絡を取るな









父親は
そう言ったという




私には
もう帰る場所がない



何もかも
失くしたのだから
もう一度
スタートしよう







誰かに
護ってもらわなくても
生きていけるくらいに
強くなって


果ては
孤独死しよう



それでいい
誰にも
伝えず

死んでいこう








あさみに
近くに居てほしいと言うと




いるいるー!



と言ってくれた





依存をすることは
避けなくてはならないけれど

あさみには
助けてもらいたい





今は
けんちゃんも
助けてくれる



断捨離をしたいと言ったら
相談に乗ってくれた



けんちゃんは
もともと
優しいけれど

もっと
優しいお父さんになっていた






島根が
雨が凄いと
しきりに
テレビが喋るので

本田に
mailすると
本田も



ねーさん




と言って
慕ってくれ

今月後半に
上京する時
飲みに行くことになった





お酒は
なめる程度しか
味わえない



けれど
それでも
みんなに逢いたい







結婚している時には
できなかったこと

たくさんしたい








学生みたい







と言われてもいいから

私は
私らしく
生きていきたい








変わってたっていい
おかしくたっていい

自分の足の向く方に
嘘をつかず
歩いて行こう




元気で明るい
自分




M女としての
自分





逃れようのない
事実なのだから


自分らしく
生きよう









もう
結婚はしない







囚われの身は
嫌だ










この先
どんな人生が
待ち構えようとも



自分らしく



自分の
死を

迎えよう
















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ビバ!コストコ!

そっちいくよーーー!




毎日
欠かさず送る
LINE




私が
突然に
送る内容にも
何の躊躇もなく






何時頃来るのー??







返事が返ってくる





昨日は
あさみの家から
すぐの
職場に
面接の予定があった





1時からだったけれど
自宅を出て
11時に
フレッシュネスバーガーで
待ち合わせ





あさみは

奇跡体験アンビリバボーの
心霊現象の
動画を観ていた





怖い怖い!




と言いながら
顔は
笑っている






可愛いなー


いつも思う






その
職場は
自宅からだと
60分だけれど

あさみの家からは
徒歩5分






ウチからいけばいージャン!





その言葉に
甘えた






職場は
こじんまりして
よさそうな職場で
自宅から通っても
交通費を出してくれるという







本気で
採用を願う






祈る












今日は
親戚と
コストコに行く




コストコに行くのは
初めてで
本当は
あさみも
連れて行きたかった






でも
親戚の事情を知って
あさみは
今日は
仕事に専念するということになり


週末に
こたを連れて
自然博物館に行くことになった







コストコでは
クロワッサンとチーズを
目指す




突然現れた
大切な友達に
送ることにする








あずきとチーズがあれば・・・







という
彼は
グルメだった






今度
お勧めの
ピザショップへ
連れて行ってくれるそう







先ずは
9月の裁判
いい結果が出るよう
祈るのみ










JIP



山口達也

ガリガリで
気持ち悪い









赤城にいたころは
私も
ガリガリだった




こう
見られていたのかと思うと
ガッカリする






今は
だいぶ
女らしくなった方




柔らかくなった体
自分でも好きになった











週末は
あさみとこたを
伴って
実家を
覘きに行こうかと思う



驚異的に
広い庭

少しくらい
入ったからといって
見つからない





博物館から
ほど近い
実家を覘いて

音信不通の事実に
悲しくなるかもしれないが
それでも
大好きな実家を
覘きたいのだ







・・・

今から
悲しい







私には
音信不通でも
誇りの実家だから







週末は
ちょっとだけ

sentimental
















あまちゃん

連続テレビ小説

あまちゃん



いつから
放送されているんだろう






赤城に入院中から
あまちゃん族がいた



赤城では
0800から
朝食だが
0800になると
テレビのある
ミーティングルームに
多くが集まり
0815までの
あまちゃんを
鑑賞していた







食堂で
食事をしていると
0815過ぎに
あまちゃん族は
ゾロゾロと
食堂に
やってくる




クドカン脚本だけれど
NHKらしく
控えめになっていると思う





ツレ


赤城での
最後の朝に
あまちゃんを
鑑賞して
その日のうちに
私は
閉鎖

ツレ


強制退院となった








ここでは
毎朝
0600に
タイマーで
テレビのスイッチが入る



目を覚まし
意識がハッキリしたら
NHKの
番組予約をする





日曜日を除く
平日と土曜は
毎日
あまちゃんが
テレビの中で
喋っていた






個人的な意見だけれど

主演も
主演の母親役も
好きではないので
観ていても
あまり楽しくはない









高校野球

常総は
午後の予定
今年は
なぜか
優勝を願う










介護施設で
働くことになって
本来なら
今日から
本採用の予定だった




いきなりの
社会復帰に
心がついてこない

来週に延期してもらう




が、
今日は
同じ日に
面接にむかい

3分で
採用が決まった
寿司屋にも
行かねばならない





どちらで
働くことが
自分に向いていて
尚且つ
仕事を
長く続けられるか

決め兼ねていた



自分らしいのは
寿司屋

スキルが身に着くのは
介護施設





身体障害者や
体の衰えた
老人たちを見ていると
どうしようもない気持ちになった


それに
耐えられないと
仕事に
向き合うことは
不可能だと思った



簡単な
リハビリを
頑張る老人達



それを
つまらない
眠いと言って
拗ねる老人



エアロバイクで
思ったように
カロリーが
減らなかったと言って
血圧が上がるまで
運動をしてしまう
老人達






日常生活でも
癒されることのない
私に

他人を癒す力は
事足りることがなかった










病気自体を
隠して
生きることが

どうにも生きにくく
世の中が
辛かった



今現在は
もう
どうしようもなく
生きにくい








生きにくそうだよー









後輩


15年も
私を
見続けている
この後輩は

至言を発言する






いい子だけれど
学生時代に
振り回してしまったがために
私のことを
若干
警戒している節あり





それでも
何かあると
飛んできてくれるのだから
有難い









人間関係は
そんなに
悪い方ではないと
思ったりするが






私は
一番手に入れたい
愛と

本当の
愛は


どうやっても
手に入れることが

出来ない


















お腹の風邪FEVER

8月18日

日曜



高校野球は
第一試合に
常総学院が
福井商業と
対戦中





常総
頑張れ





特別興味のない
高校野球だけれど

このところの
人との関わりと
祖父の
弟弟子である
アンクルに
敬意を払って
常総を応援








一昨日から
こた絶不調



腹痛で
騒いだらしい

昨日の朝
病院に向かうと








今は幼児のお腹の風邪が流行っているんですよ








とのこと


同居しているわけでなく
どうしてあげることもできない



昨日は
恐竜を
観に行く約束をしていた




こたは
恐竜好き




行きたい行きたい!!!





と泣いてワメイタそう








土日で
予定していたものは
すべて
cancelになってしまったが

一人で
こたの
看病をしている
あさみを思うと
その
cancelなど
どうでもよかった








お盆中は
なにかとあって

たくさん
連絡が来た

お盆を終えても
食事の誘いの
連絡が来た


大学の
仲の良かった
友人からの誘い







飲みながらこれまでのお互いのこと語りましょう









昔の姿からは
想像つかない
大人びた
けんちゃんであった





私の周りは
既婚者ばかりで
誰か一人でも
独身でないかなと
想ったりもした




私は
付き合った男性の
ほとんどが
既婚者で
いろいろな気の使い方を覚えた



嫌われることが
一番怖かったからだ






都合のいい女としては
上等ではないかと
自負したい






あああ
常総
がんばれーーー



点が
入らない









今は亡き
アンクル


木内監督在任中に
優勝
お祝いのパーティーを
したのは
小学生の頃






お爺ちゃんが
亡くなって

あまりのショックに
後追うように
亡くなってしまった








母の実家に
毎年
棚経の
お手伝いに来る
ちーちゃん
忙しくて
連絡なし






同じ家の
兄弟でも
よしみつは
高跳びして
セイシェルにいる


バカか??



あいつは
しょっちゅう
海外にいる





大学の頃は
持ち物すべてが
ルイビトン
だった


嫌味がなく
いい奴だった
だから
FBで
再会して
とても嬉しかった





その兄
ちーちゃん


忙しいのはわかるけど
連絡よこせ

バーカ



酔っ払いちーの
おバカ






早く
一刻も
早く

連絡よこせーーーーーーーー!!!

















仲間の勇士

世の中は
お盆



私の仲間は
みな
棚経で
忙しく

徒歩や
チャリで
街中を
歩き回っている







衣は
夏暑く
冬寒く
出来ている




真夏の太陽は
黒衣を
焼くように
陽射しを降り注ぐ





それでも
使命のため
仲間は
歩き
棚経を続ける






世の中には
7月盆

8月盆
があり
都内は
ほぼ
7月盆

田舎のお寺は
8月盆


だから
田舎の寺院は

本山や
都内のお寺から
手伝いを
頼む





都心の仲間は
7月にも
8月にも
お盆があるのだ






7月に
職場でお盆やってー
8月に
またお盆やってー
なになに??




仲間が
一瞬もらす



それでも
私は
仲間が誇りだ







昨日は
実家にほど近い場所にいる
仲間から
着信アリ




今夜
遊びに行くことになった






一人は
弟のように
可愛がっていたが
すっかり
おっさんだ




FBでの
やり取りは
変わらないが
大学を卒業して
13年
一度も会っていない



会いたいと思う





私を
呼び寄せたのは
もう一人の方だが
二人ともに
会えると
嬉しいと思う





実際には
一人にしか
会えないかもしれないが







車で向かうのは
無謀なので
電車に揺られて
向かう




何より
気を付けなければならないことは
親戚一同に
一人たりとも
見つかってはならない
気を付けないと








今日は
楽しみ
















我が故郷

8月13日



迎え盆






もう
何年も
実家に帰省していない




私の実家は
寺院であり
繁忙期である





大学の友人も
みな
揃いに揃って
帰省





私は
実家が好きだ




だから
帰省できないのは
とても
辛かった




お婆ちゃんにも
会いたいし
お父さんにも
会いたい

実家の
空気を吸いたい




私は
実家の子供であることの
プライドが
高かった

今も
高い






ツレ


いつも







過去の栄光








という





私が
赤城を
出たときに

元夫が
怒りに任せて
走り回って
私を
家族と
絶縁に導いたのだ




元夫
酷い人だな・・・






数日前
弟に再会できたから
いいものの
私は
今は
ほぼ
天涯孤独






家族の
弟以外
音信不通







なんだかもう
いろんなことが
面倒で
いろんなことが
うっとおしかった




自分の生活で
精一杯で
赤城を出てから
どれくらいの
時間が経過しているのかも
分からなかった







世の中には
私と
同じ病気の人が
結構いることも
分かったし
その人数も
多いものだろうことも
分かった





病気だ
病気だ


騒がれて

治療
治療

押し込められて
赤城にいたけれど

今は
本当に
よく
分からない









何かに
執着して
何かに
頼って

それが
人でも
物でも

執着することで
私は
安心し
冷静になった








昨日は
久しぶりに
遠くの友達から
着信





私と話したかった

言ってくれたが
私などで
力になれただろうか








友達は
アル中の
摂食障害




ツレ

とも
私とも
かぶる









讃岐うどんを
食べに行きたいけれど

ピザを・・・


という
彼女のリクエストに応えて


ピザハットナチュラル


行くことを決める









私の人生



先が見えない

















love addiction と生きる道

2013年6月12日


0600




2階の病室の
非常階段から
荷物を運び

ツレ


車に乗り込んで
赤城を出た





そのまま
戸籍のある
市町村に向かい
公文書を
偽造した上
離婚届を提出





届は
受理され
離婚成立





自分が
何をしているのかも
ハッキリは
分からなかった





勢い

ただ
それだけだった



赤城に居続けるのも
意味が
分からなくなっていたし

依存症も
よく
分からなかった





病院も
患者も
揃って

私と

ツレ


引き離そうとした






その頃の

ツレ


口癖は








潰されてたまるか








だった









明日で
2ヶ月が経過する






2ヶ月の間

幾度
家を飛び出したか





警察を呼んだこともある



110番した時には
体が
震えあがった




死んでいたら
どうしようと

本気で考えた



大事には
ならなかったが

飛んできた
警察の人数の多さが
今も
印象に残る




玄関の鍵が
開かない


鍵の開くまでの
30分

8人の
警察官に囲まれて
泣き続けた








決して
順風満帆とは言えない

激しい感情によって
自分を
コントロールできず
感情に任せて
酔っている

ツレ


車に置き去りにして
練馬の駅で
闊歩した




ツレ


飲酒運転をして
私を
追いかける





普通ではない日常






何事もなかったかのように
髪は伸びて
自分でも
邪魔だなと
思うくらいになった







みほが言った
私の病気は
すべて
水子さんを
大切にしなかったことから
始まっている







ひさみお母さんは
自分のお腹に宿った
二人の
子供の存在を
見ないように
生きてきた




湯布院で
一度
供養をしたが
それは

みほに言わせてみると









相手は子供、お母さんが一度しか声をかけてくれなかったら悲しい
一度の供養など足りない








私が
お菓子や牛乳を好きなのも
過食をするのも
浪費をするのも


水子さんの
訴えだと








私は
目にこそ見えないが

子供がいる


母親失格なのだ






食事をしても
物足りない

愛されていても
物足りない

何をしても
満たされない






私の持つ
幸福の器は
穴が開いていて
注いでも
注いでも

その穴から
こぼれていった





生きることの苦しさ
生きにくさ

極普通の幸せが
分からない






今日は
仙人さんとの
電話で
仙人さんが
具合を悪くしてしまった




私も
仙人さんも
病気







赤城では
私に

裏切ったことの
謝罪をせよ
という




ツレ


永久追放


もう
十分だ










自分には
男がいないと
ダメだと思ったのは
どれくらいからだろう





恋をすること
愛すること
SEXをすること


満たされるまで
満たされるまで
追い求めて


いつまで経っても


この
苦しみの
ループからは
抜け出せない








赤城から出て
私には

ツレ


みほ

あさみ

いる






親兄弟も
病院も
頼ってはいけない


自立ではない






村山先生に
会いたいけれど

本当に
会いたいけれど
何年か
かかってしまうかもしれない






村山先生の
提示する
再会の条件は







ツレと離れなさい







私に
それができるか






放り出せない病の
私に
それが
できるか








こうして
生涯
ついて回る

依存症











村山先生に
無理矢理
手を引きずられ
閉鎖で
のた打ち回った
5月





1時間
私を
見守っていてくれた









村山先生
大好き









これも
また


病気

















人の消えた町

予想最高気温

名古屋・熊谷
38℃






午後2時

街を歩くと
人の姿はなかった


あまりの暑さに
日中
家の外を
誰も歩かない





蝉の声
太陽の陽射し
アスファルトの照り返し



私の腕は
いつの間にか
Tシャツの袖のない部分
指先まで
日焼けしていた



こんな日焼け
何年振りだろう






1年前
体脂肪率が
ほとんど
一桁に近かった
私は
夏でも
半袖を着たことがなかった







今年
初めて
日焼けしたのは

ツレ


永井食堂まで
誘ってくれた日だ




片道7キロ




私は

ツレ


促してくれる道のりを
文句ひとつ言わず
歩いた





5月の新緑の季節は
清々しく
とても
気持ちよかった








土地では
知れている
名店のイチオシを
食べて
来た道と
違うルートで戻り
赤城に着いたころには
私は
何故か
左腕だけ
真っ赤に
日焼けしていた









一昨日

FBで
仙人さんと
再会


嬉しかった





私が
赤城を
逃亡したという
噂が流れたとき

退院した患者たちの間では







仙人さんと逃げたらしい







ということになっていたのだ





仙人さんとは
仲が良かった




それでも
その頃は
love addiction

ひた隠しにするために
男の人に
近づくことを
徹底して
避けていた




食堂で
向かい合って
会話をする時間だけは
心躍る時間だった









ここのところ
角田と喧嘩をしてから
赤城を避けていた




あさみとの
毎日の
LINE
でも
赤城を
避けている話を
しきりにしていた




それでも
仙人さんの存在

そこから見えてくる
村山先生




7月3日の
村山先生


私は
いつもいつも
村山先生に
怒られていたし
回診で
泣かないことはなかった





こういう
男性に
護ってもらえたら
幸せなのではないだろうか

何度
想ったろう






村山私物


と書かれた
ポーチに入った
私専用の
スタンプ





認知行動療法

という
治療法らしいが


村山先生は
私のためにだけ
病院の歴史上
初めて
私物を
使用してくれた





とても
厳しい
先生だったけれど

怒られている時には
まるで
抱き締められているようだった






多忙な
先生の
白衣姿は
目をつぶらなくても
はっきり
目に浮かぶ




村山先生


怒りも
優しさだった






ツレ


離れなければ
村山先生の元には
戻れない







外来で来てもいいけれど彼と離れなさい







先生の言葉


先生の顔は
浮かぶけれど

行動に移せない今






出来るなら

先生の記憶から
消えないうちに
先生の元に
戻りたいと・・・



考えたり









その時には

はしゃがずに
先生の
言う通りに

治療を受けよう


静かに
静かに


治療を受けよう







2度と
戻りたくない
赤城






先生の
愛情を
受けたいがために
戻りたいと思う



それもまた








love addiction







私の病気

















真夏の蝉の声

とても
静かな朝だった



目が覚めると
心地よい日差しが
窓から差し込んでいて
エアコンが
丁度良い温度で
部屋を冷やしていた







ここはどこだっけ??

ああ
みほの家だった



ふと
横に目をやると
可愛く寝息を立てて
みほが
眠っている






私とみほが
赤城で
出逢った頃は
みほは
喋ることもやっとで
歩いて動くことも
精一杯だった



薬で
鎮静されていて
だいぶ
おとなしかったのだそう






一昨日は
マライカでの
面接を終えて
電車に乗り

みほといっちゃんと
3人で
新宿に
新規openした
appbank

向かった





私の
お泊りセットは
いっちゃんが持ってくれて
身軽になった






いっちゃんは
みほの言うことを
何でも聞く

どうしたら
男の人が
ここまで
腰を低くして
女性に接することができるのか
不思議でならなかった









ほら!見て!シッポ振ってる! 見えるでしょ??









彼を愛しているのか
よく分からないが
彼を
可愛い
カッコいいと言っては
貶している







白髪交じりの
48歳は
長い時間をかけて
彼女の
調教によって
飼いならされた
よく言うことを聞く
大型犬と化していた









みほの家の
ほど近くに
私の弟が住んでいる



サンマルクに入って
お茶をしながら
弟に
電話を入れて
2年ぶりに
弟の顔を見た






弟は
すっかり
オジサンの顔になっていて
父親にそっくりになっていた



それでも
私にとっては
大切な大切な
可愛い弟であり
懐かしくて仕方なかった弟の
体に
抱きつき
何枚も
写真を撮った










蝉が鳴いている








今年の夏は
蝉が鳴かなかった
8月に入って
ようやく
蝉の声を聴いた





大豪邸の
みほの自宅の
窓からは
青空が
望めた





雲ひとつない
青空だった



この先の
行く末を
明るく示してくれているようだった







面接に向かう途中の電車で
嬉しい
mailも
届いた






今日から
また
本格的に
暑くなるんだな

そう思いながら
空腹に
気が付く








ここ数日で
いろいろなことが
変化していた




一番には
心の変化だ


病気に対する
気持ちも
だいぶ
変わって
体重も
10キロほど
増えた


完全に
治ってはいないけれど
それでも
だいぶ
元気に
楽になった






love addiction

バカバカしかった







ツレ

のことは
放っておけないけれど







気が済むまで相手を面倒見てあげていいから籍を戻して







という
元夫の
言葉も
考えるようになった




私は
再び
同じ思いをして
苦しむのかもしれない





決意するのには
時間がかかる







もう
何が正しいのかも
何が間違いなのかも
分からなかった
それでも

私にとって
あさみだけは
強力な
理解者となって
助けてくれた








ひさみちゃん、今できた友達 大切にしなよ








弟の
言葉が
身に沁みた

















想い通りに

7月27日

06:20


新潟の
叔母が亡くなった




同日
05:30


元夫から
連絡の
mailが
入った時には
小康状態
ということで
危篤
というところでもなかった




叔母は
手足不自由の独居だった


年に
数回
新潟を
訪れて
海の幸を
御馳走してくれた




私は
高級魚
のどぐろ

ハマり
新潟に
行く度に
好んで食べた







太っていた
叔母さんは
棺の中で
すっかり
痩せて
頬がこけていた




叔母さんと
元夫の
3人で
すき焼きをしたこと
叔母さんは
覚えていただろうか





お母さんと
お兄さんの
介護をして
看取ってからは
独りきりだった
叔母さん


淋しくなんかないと
言っていても
絶対に
淋しかったはずだ




強い人だったから
強がっていただけ

そう思う






後悔は先に立たないが
もっともっと
叔母さんに
優しく
接してあげたかった





叔母さんに

ごめんなさい


連呼する




涙は
止まらなかった









何もかも
想い通りに行かなかった





何処にいても
何をしても
地に足がつかず
落ち着かなかった






離婚のことは
誰にも報告していないとのことで
私は
喪主の妻
ということで
活躍した








夏休みということで
叔母さんの母の実家という
お寺の
子供達が
在宅で
可愛らしく
私に懐いて
いろいろな
話をしてくれた




今日は
折り紙をして遊ぼうよー

といって
私を
誘ってくれた









入院してから
私は
人が変わった








何故だろうか

人と
接することが
怖くなくなったのだ





その代り
多くの友達を
失い
数人の友達が
私を
受け入れてくれた







離れていった友達は
正常だった


私は
正常ではない
ということ


そうだと思う












自分が
変わっていることに
気が付いたのは
ここ最近のことで
万人に
受け入れられる
人間じゃないことにも
気がついた







新潟に行っても
ぶっ飛んだ
奥さんだ

思われていただろう











移住する
計画も


相手側から








水ない

電気ない

埃すごい

この国の人間も
嫌だと思う人が多い中
ひさみがこの国で過ごせるか心配です








ということと
私の
入院生活や
友達について
驚いてしまうことが
多くあったようで

国の習慣の違いをあげられて
2度も
音信不通になった





国際電話もできるし
addressも
知っているけれど
もう
深追いする気もなかった






傷つくのは
もう
ごめんだ





2度も
裏切られるなんて





まったく





7月後半からの
数日は
お葬儀と
ショックと
お守りで
過ぎて行ってしまった








帰りに
元夫が
私のために
宿をとってくれて
水上に
一泊させてもらった





その部屋の
料金が
いかほどだったかは
知る由もないが
綺麗な
広い部屋で
ベランダには
温泉がついていた











毎日毎日
何をやっているのか
分からない


生きているのかも
もう
終わっているのかも
わからなかった











6月12日からの
今日まで
今日からの
これから


自分が
どうなっていくのか





まったく
予想もつかなかった












ツレ


離婚裁判は

取り下げられた

















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